(ttp://redd.it/2msrcz)
・(スレ主)うちの父親は彼が写真を撮る間、2歳だった僕をカーテン棒に吊るしても大丈夫な強さだと思っていたようだ。
【画像をクリックで拡大】

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・「いつだって僕を信用してくれてありがとう」というメッセージと共にこの写真を父の日のカードに載せることを提案したい。
↑・名案だ。
↑・毎年、父の日の度に送ろうぜ。
・ロックマンみたいだね。

↑・こんな感じだな
【画像をクリックで拡大】

↑・いい感じで影を入れたな。
・最高のフェイスブックのプロフィール用の画像じゃないか!
・カーテン棒の配置が理解できん。
・俺には小さいルイージしか見えないんだが。
・これを思い出させるよ。

(訳:何で私を裏切ったの、お父さん。)
↑・何かしらんが激しく笑ったよ。
↑・そいつがさらにこれを思い出させたよ。
【画像をクリックで動画】

↑・ハハハ
・で、落っこちた後、生きてた?
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管理人の一言
前回の記事もそうなのですが、一見すると微笑ましい家庭の画像や動画の中に、家族の「無茶しやがって…」と言いたくなるようなアイデアや出来事が詰まっている事ってあるんですよね。
で、決まってこういう無茶をするのは「お父さん」という生き物と相場が決まっているのですね。まるで彼等の中で「子供はこれくらいやっても大丈夫、むしろそうすべきだ。」といった脅迫観念でもあるかの様に。
管理人は最初この画像を「あははー外国ってムチャすんなー」と他人事のように笑ってみていたのですが、よく考えたら管理人も少年時代に、東京タワーで今は亡き管理人の父親に無茶させられた事があったのを思い出してしまいました。orz(注:管理人は子供の頃から高所恐怖症だったのですが…)
そしてこういう無駄なチャレンジ精神に人種とか国籍とか関係ないんですよね。やはりそれが「お父さん」という生き方なのでしょうか。一体少年時代の管理人にとって「父親」とはなんだったのだろうか。人生最初の強敵とでも呼べばよいのか、それとも超えるべき壁であったのか、いや、新たなる価値観の創造主だったのか。…思い出しただけで、それはもう父という存在自体がある種の哲学のレベルに達していた様な気概を感じてしまいますが。
まあ今となっては全て良い思い出ですがね。
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海外の反応アンテナ@ナントカアンテナ
スレ主は容貌や室内の感じから中東の方の人かな。かわいそうだけどかわいい表情が秀逸
あるらしい、覚えてないけど
天井の・・なんだろう?換気扇??・・とにかくそれのふちのとこで二重の紐みえるよ。
どうやって息子と紐をつないでるかは謎だが。
すぐに病院に連れて行ってくれたおかげか、幸いにも1ヶ月余り入院するだけで治ったけど。
「父は2歳の僕がカーテン棒で数秒間懸垂姿勢でいられると思っていたが、僕は耐え切れずカメラを構えた瞬間手を離してしまった」
というスレタイ
まあ管理人の訳もちょっと分かりにくかったかもしれないが、それくらいは読み取るか元スレの英語を見にいこうぜ